DIARY

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2011-04-12

April 12, 2011 11:59 PM

ばあちゃんがもう長くないからね、と実家から連絡があった。昏睡状態らしい。近いうち帰省しなければならないだろう。母はずいぶん長いこと祖母の介護をしている。車で片道四十分ほどもかかる所まで、呆けてしまい自分の子供もわからなくなった人のために通い続けているが、きっとそれももうすぐ終わるんだろう。電話で話した母の声は嬉しそうでこそなかったが、少なくとも沈んではいなかった。気持ちの整理なんかとっくに済んでいるのかもしれない。

母の実家はいわゆる日本の古い大きな家で、母は父と結婚して家を出た後もあの家ととりわけ祖母のために尽力していたけれど、あちらは駆け落ち同然で出て行った母には冷たかったようで、彼女が悩んだり泣いているところをよく見かけた。幼いころは広いお風呂が楽しみだったけど、そんな母を見るにつれだんだんと距離をおくようになり、今ではもう最後にいつ行ったか思い出せなくなった。呆けてしまった祖母に会った記憶はある。黒い服を着ていた僕を見て、あんたは誰、どこかの葬式にでも行くの、とかそんなことを言っていた。母とも伯父ともまったく会話ができなくなってしまった祖母に僕はショックを受けたが、それでもそれがいつのことだったか、もう思い出せない。そのくらい呆けてからの期間は長く、それはすなわち、母が祖母を介護してきた期間が長いということでもある。

母は僕を大学に行かせたあと、自分も法律の勉強がしたい、と行って地元の大学の夜間学部に通っていた。自分の実家の土地やら権利やらのことでいくつも醜いトラブルがあったことがきっかけになっていて、当時は全く理解が及ばず、結局どうすることもできなかったことが相当くやしかったらしい。祖母の介護をしながらの通学は思うようにいかず一度留年したが、どうにか卒業することができた。在学中は自分が巻き込まれた争いごとについて調査してゼミで発表したり、精力的に勉強していたようだ。

ある時、母が大学の講義の前に祖母の家に行くと、自宅のガレージの前で座って待っていたらしい。そんなところに座ってどうした、と母が聞くと、祖母は「子どもが帰ってくるのを待っている」ような返事をしたそうだ。それはもちろん今の母のことではなく、子どもの頃の母もしくは他の兄弟のことである。それはきっと、祖母が呆けても守り通したかった美しい記憶なのだろう。母から聞いた話でしかないけれど、成長した三人の子は祖母にとって、みな何かしらの形で祖母を悩ませたであろうことは想像に難くない。ばあちゃんその記憶はなくさなかったんだぜ、と言ってやりたいが、いろんな意味でそれはきっと叶わないだろう。

いずれ来るべきその時がきたら、お疲れ様、と伝えよう。母にもばあちゃんにも。


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