DIARY

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2011-04-25

April 25, 2011 9:31 PM

ひとつの仕事が終わったあと、必ず当初の見積を確認するようにしている。もちろん進行している間にも見ることはあるけど、完了した後で見る見積は少し意味が違う。見積は仕事の前に行うものだから、その時の自分が推し測ることができた範囲のものでしかなく、仕事が終っていれば当然結果が出ているので、予定通りだったことも見誤っていたことも事実として存在する。

クライアントは誰が担当で、社内では誰と組んで、自分の作業はどのくらいで他の人はどのくらいか。途中で見積に関わる変更があったか、手戻りがあったか、予想していない事態があったか、あった場合はどう対応したか、進行中のやりとりなど潜在的なコストはどう感じられたか。過去の類似案件と比較した場合はどうか。そもそも提出していた見積はどんな基準や事情で算出していたのか。見誤った部分があるならそれはどういう点か。進行していたころを思い起こしながら、そういうことをぼんやり考える。

僕がひとつの見積にかける時間は、調査が必要な場合はだいたい一時間くらいで、そうでない場合は長くても三十分以内に結論を出す。ある程度の規模があったり、設計を考えておかないと危険を感じるものにはもう少し時間を割き、まれにある大規模なものは一日かけることもある。逆に、自分の見通しにある程度確度を持てる場合は必要以上に時間をかけない。仕事で見積を作るからにはそこにも過去の積み重ねを反映しなければならないわけだけれど、だいぶ見誤らなくなってきて、同時にいろいろ見通せるようになってきた。

クライアント予算がこうだからという理由でそれありきで算出したり、作業内容が見えてないのに、勝手にこのくらいだろうとたかをくくって工数を出したこともある。今から考えると、そういう時期は自分の技術がどうこうというよりも根本的に仕事というものをハンドリングする力が足りていなかった。この見積はこういう前提だとか、この予算ならここまでだとか、代替案としてはこれでどうか、とかいう留保のない、とりあえず出しただけの残念な見積。

結局は紙か電子データに書かれた数字の羅列に落とし込まれるのだけれど、そこにだって人の意思があるわけで、生きた数字に感じられなきゃあいけないんだってことが最近ようやくわかるようになってきた。ような気がする。


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