Home > Logs > October 2007 > This Entry
プライスレス
夕方から友人の部屋探しに付き合ったのですが、これがなかなか面白くて、ひとついい経験ができたように思っています。僕にとってセンセーショナルだったのは、最終的な決定がモノより人に依存して行われたことでした。それはすごくいいことなのだけれど、同時にすごく珍しいことでもある。
当初考えていたより駅近の物件が少なく、少し難航するかもしれない予感がありました。そこは低い階を望んだ友人のものぐさな性格がカバーしてくれたのですが、異動の少ないこの時期はやはりひとクセある物件が多くて、普通の人が並べる希望を並べたらちょっとキツかったかもしれない。二つ目に見た部屋の上空を飛ぶ飛行機の腹が見えたことがすごく映像として鮮明に残ったけれど、それはたぶん普段見えないものが見えたことによる喜びであって、部屋選定の要素としては弱いな…と思いました(ちょっと駅から遠かったしね)。
最後に見た部屋に決まったのだけれど、一番の決定要素は人懐っこい大家でした。通常、部屋探しにおいて大家と対面することはあまりなく、大家が好印象であることはさらに少ない。キレイ好きと自称するだけあって、築十年弱のそのマンションは手入れの行き届いた印象で、技術の進歩もあるだろうけれど、相応の築年数だとは思わないだろうし、新築でも通用しかねない勢いだった(マンション内の内装の様子からは当時の流行の形式が見られたのだけれど)。ゴミもホコリもなく、入り口には植物が植えられたプランターが並んでいるあたり、マメな手入れがなされていることは疑う必要もなく、細かな気配りはチラシ一枚で突破できるオートロックなんかよりよっぽど安心感と信用があるものだな、と思います。
話を聞いていると、たまに住民みんなで食事をしたりする機会があるらしい。なるほどな、と思う。通常であれば、それはモメ事を抑制する方向に働くように考えられる。会話しないどころか、顔も知らないアカの他人が同じ建物内でなにかやらかすから、好き放題自分に迷惑をかけているような印象が増幅され腹立たしさが増す。濃いつながりを望まないのであればやんわり断っておけばいい。考えてやっていることではなさそうなところが、概ね大家として好ましい性格であるように思えました。どうやら入居の際の歓迎会には僕も呼ばれるらしい。二人で来たから、と礼金を二万下げてくれたことを思えば、顔を出さない訳にはいかないな、と思っています。
善し悪しの判断はともかく、仲介業や管理業というシステムが発達した現在、大家は自分のマンションにそんなに興味がない場合が多い、と僕のマンションの大家が言っていたのを思い出しました。礼金を受け取り、敷金・保証金からリフォーム代を差っ引いて、さらに月々の家賃でほとんど発生しない修繕費まで担保され、住人の入れ替えはほっとけば仲介業がやってくれる。でも今は売り手市場なんだよ、そんな金の集め方してちゃあ空き部屋は埋まらないんだ。ありゃ不動産業界の腐りきったシステムなんだよ、と僕のマンションの大家である、現在は引退した元営業マンが熱く語っていた。不動産は売ってナンボなんだ、賃貸ちまちま重ねても売りにはかなわねえ、ただでさえ仲介後はほったらかしなのに、賃貸仲介業自体が軽視されてるんだ。事情はいろいろと変わってきているのだろうけれど、彼以外の手練の現役営業マンと売り手側として会話した内容とさほどブレを感じなかったので、概ね本当のことと捉えていいだろうと僕は判断しています。
そういえば、自分は何回か引っ越しの経験があるけれど、他人の引っ越しを手伝ったのはほとんど初めてに近くて新鮮でした。何回か繰り返した引っ越しの中で自然と営業マンの善し悪しの判別をするようになったけれど、それに関してもまずまず当たりクジだったように思います。営業マン判別のコツは多くなく、もっぱら、こちらが与し易い相手かどうかで決まる。ただし、相手がピントを合わせやすいような発注を心がけなければならないけれど。今回は始終、人とタイミングに恵まれて、巡り会うべき人間が巡り会ったような気がしました。部屋探しがそういう形で決まることは滅多にない。これだけで、いい一日だったと評価してもいいくらいだよなあ、とぼんやり考える。
Post Comment